◎皆さん親先生の事を思う、有難い。けれど、もうひとつ向こうに、親先生が私の心の中に生きてござる。そういうおかげをですね。頂いて貰いたい。%V
%1伊万里竹内先生のお母さんのお届けに対し
%2末永先生の実感
%3菊栄会
昭和四十三年二月二十日 夜の御理解
X御理解第十九節 「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。」
「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる」とこうおっしゃられます。肉体を持っておいでられる時には、やはり教祖生神金光大神は、結局備中の片田舎大谷におられたのでございますけれども。お隠れになり、御霊の神の世界に入られて、やはりお取次を下さっておる訳でございますけれども。
そういう御霊の世界に入られ、神の世界に入られてからは、それこそ天駆けり国駆けり、氏子が金光大神と唱える所に、働いて下さる訳でございます。そこで、どこでもお取次して下さる訳でございます。そこでその、どの様な場合でも金光大神が、ただあの「金光大神」と言えばおっしゃる、その金光大神という事がです、ただあの口で唱えるというだけの事じゃないのです。ね。
本当に「生神金光大神、金光様」と一心に唱える、実感を持って金光大神におすがりし、金光大神にお取次願うと言う事。ね。だからどこへでもここへでも金光様は行って下さるのだけれども。一心の金光大神が通わなければ、だからおかげにならんという事がわかります。
ただ「金光様金光様」というておる〈だけじゃいかん〉。金光大神は、もうそれこそどこへでも行ってやると仰せられる所の自由のご活動。いわゆる天駆けり国駆けりの働きを氏子の一人一人の上にお働き掛けて下さる。ね。そこでそのお道の信心では、お取次のお広前というのが金光大神の、いわゆるお手代りとして所々方々に教会が出来、布教所が出来る訳でございます。ね。
そこへ例えば、そこの教会長であります先生が、結局金光大神のお手代としてそのおかげを受ける訳でございますが。そのお取次をさして貰う先生自身の心の中に、生神金光大神様のお手代りとしての働きの出来れる内容が出てこなければならん事は勿論。ね。
ここではそういう意味での金光大神の、私なのですけれども。お手代りを許されて、そしてまあ金光大神が私に、ね。大坪総一郎の取次によって、どの様な難儀な問題でも、取次助けてやれる。ね。ある大変な難儀な病気の人がお願いに参りました時にも、もうこれは七、八年も前の話ですけれども。ね。
例えばですね、その身が腐って行く様な病気でも、ね。私の信心で助けてやる。それは大坪総一郎の信心という事は、そのまま金光大神の信心を頂いて。私の信心の取次で助けてやる。だからどの様な、いうならばどの様な、例えば病人でも、どの様な難儀な問題でも、ね。ここでお取次を願われたら、おかげが頂かれるという事は分かるのですけれども。
お取次を願う皆さん。いわゆる金光大神。ね。先日あるお道の先生で、現在はもう先生をなさっておられません。その方がここに二、三回お参りしてまいりました。二、三日前手紙がまいりました。今日神様からお知らせを頂きました。今日からもう二十年に、信心する様になって、ご苦労であった。今日からは生神金光大神の神号を送るというお知らせがあった、その方に。
それを小倉、甘木、合楽に速やかにお届けをせよというお知らせであった。私はそれをそのまま信じる事は出来ません。金光大神なんかが、そんなに簡単に出来て良いはずがない。ね。金光大神なれば、ね。金光大神は金光教の歴史の中にいくらも出ておられます。金光大神は。
生神金光大神と言った様な、まあいうならば天地金乃神様と同根とまで言われる程の御神格、御神号というものが、そう送られるだろうかと、まあ疑う訳でございますけれども。次がね、小倉、甘木、合楽、もう一ヶ所ある教会が出てまいりますけれども、そこの事は差し控えます。ね。そこの教会に自分の生神金光大神の御神格を受けた事を速やかにお届けをせよ、でこのお手紙を差し上げますというお手紙がまいりました。
様々な、私共過去に於ては様々な事を頂いた事があるんですけれども。そんなだいそれた事は、とても思われませんですけれども。けれども生神金光大神の働きがです、ここに頂けれるという事は事実です。それはお手代りなんだ。生神金光大神の働きがそのまま、ね。合楽の御結界、合楽のお広前にそれが頂けれる事は事実なんだ。ね。
そこで取次をさして頂くなら、私なら私が生神金光大神を私の心の中に、生き生きとどれだけ頂いておるかという事に成ってくるのです。そこで皆さんがどの様な難儀な問題でも、どういう難病な病気であっても、お取次を願われる所におかげが立つのでございますけれども。
先程から申します様に、来てくれという所へ行ってやるとおっしゃるけれども。そのお取次を願われる皆さんの内容が、心が、ね。その生神金光大神をここに現わせれる様な、やはり一心の金光大神でなからなければならないという事。そこにおかげはわが心という事になって来るんです。わが心というのは、めいめいの心という意味ですね、この場合は。ね。めいめいの心次第なのだ。金光大神を現わす現わさないは。ね。
%1先程伊万里の竹内先生方が、親、子、孫、一家上げてお参りになりました。御祈念を頂いて行きたいけれども。今日は佐賀が大変な深い雪だそうです。途中で帰られないかもしれない程に、大雪の警報が出ておるという事でございます。それでご無礼してでも、御祈念を頂かずに帰るというて、お届けだけをして帰られましたんですけれども。
%1その中に今の先生のお母さんでありますお祖母ちゃんがです、お届けされるんです。先生、先日あのこういう様なお夢を頂きました。それは大変色々長いもんですから、お夢でございますけれども。もういよいよ絶対絶命という時に、「親先生」と言うてその、唱えさせて頂いた、すがりさせて頂い。そこから助からして頂く道が開けたと言うお夢であった。ね。
%1お祖母ちゃんあなたの心の中に親先生が生きてござったんですよ。私はそう思わしてもらった。ね。夢の中だけじゃない。どの様な場合であってもです、ね。そのお夢の中で唱えられた中に、絶対絶命という時に、「親先生」とすがられた事、お取次を願われた事は、もう生神金光大神に通じておるのですよ。ね。親先生があなたの心の中に生きてござる、印ですよと初めてお話した事でございますけれども。ね。
先日からも皆さんに聞いて頂きました様に、甘木の平田さんですね。あちら辺りの話を聞ききよりますとですね。もう本当に、もう甘木の安武松太郎先生がね、平田さんの心に躍動してござる、ね。そんなものを感じるでしょう。少し熱が入って来ると、もう涙を流しておられる。「親先生」と言うただけで涙をながしておられる。もう平田繁吉の心の中には安武松太郎先生のですね、もうその人が信心がもう心の中に生き生きと生きてござる。
だから、もうそれこそ卓を叩いて「親先生はこうおっしゃった。親先生はこうなさった」。それが自分の心の中にあるもんだから、それが出来ない人達に対してからこそ、あの激しい言葉を持ってから、皆に教えられる訳でございますね。
金光大神がいわば安武松太郎に乗り移っておられる、その生神金光大神が乗り移っておられる所の、いうならば安武松太郎ですね、安武松太郎先生が、ね。平田繁吉の心の中に生き生きとして生きておる。そこに、あゝいう広大なおかげを受けられる事になられたのでございます。そうと信じます。ね。
そこで、んなら合楽でもですね。皆さんが、非常に親先生を大事になさいます。ね。これはもう私、本当に思うのですね。これは大坪総一郎が大事にされよるとじゃない。親先生が大事にされよる訳だとこう思うのです。ね。親先生の事を一生懸命思うて下さる。そういう意味合いに於てならば、今晩菊栄会でございますけれども。菊栄会のメンバーの方達は親先生を思うという点に於ては、私は合楽では第一人者の方達ばっかりの集いだと、私は思います。
%2先程私は、竹内先生のお祖母ちゃんにお取次さして貰いよる時に、お祖母ちゃんあなたの心の中に親先生が生きてござったんですよ。というお取次をさして貰いよる時に、そこで末永さんが聞きよった。はあ先生、私の心の中に親先生が生きてござらん。もう親先生を思う事に於ては、もう好きになろうという事に〈尽くす〉事に於ては誰にも負けないものを持っておる。
%2ところが親先生が私の心に生きてござらんから、親先生の思いとはいうならちぐはぐ、痒い所に手の届く様にと思うけども。親先生が返って歯がゆい思いをされる様な日々の修行であるという事をです。今のお祖母ちゃんにお取次をしておられる。親先生が心の中に生きてござるんだ。あなたの心の中に親先生が生きてござったんですよ。それを聞かせて頂いた途端にです。
%2私の心の中に、末永建郎の心の中にはです。思うておる事は一生懸命なんだけれども。親先生が心に生きてござらなかった事が分かりましたというてお届けさして頂いた。そうなんだ。親先生が心の中に生きてござるなら、それこそ痒か所に手が届く様になる、なれれる筈なんだ。ね。
%V%3そういう意味でです。私は、菊栄会の方達は親先生を思うという事に於ては、第一人者の方達ばっかりでしょうけれども。親先生が心の中に生きてござるという事に於ては、これはまあ大変、皆な欠けておる様に思うのでございます。それはそれぞれにです。銘々ここまで信心のお育てを頂いて、ね。
%V%3いうならば久富正義、久保山茂、ね。大和秀広の信心の程度ででもです。金光様を唱えれば、もうここにおかげの頂ける様な道が段々頂けてあったのだけれどもです。ただそんなこっちゃない。こげん時なら親先生ならどうなさるだろう。こげん時なら親先生ならどう思われるだろう。と思うたり、ね。考えたりする隙がない。もう親先生が生きてござるんだ。ね。
%V%3そして親先生ならこうなさるだろうけれども。自分の程度の信心ではこうしか出来んという様な程度の所しか通うていない様に、私は感じるのでございます。ね。それを皆さん親先生が、皆さんの心の中に生き生きとして生き。ね。それをね。大坪総一郎の信心を、ね、使こうてくださる事。大坪総一郎の信心を生かして下さる事にもなるのです。ね。
%V私を十二分に使こうて下さる事になるのです。たとえこのお広前に居らなくてもです。銘々の生活の現場に於てです、ね。親先生というものが心の中に生きてござる時に、もうそこで親先生が使われてござるのだ。ね。そこに生神金光大神の働きがです。生神金光大神が親先生の信心を通して現れる。
私共は「金光様」と唱える所に天駆けり国駆けり、金光大神と唱える所には行ってやると仰せられますけれども。来て貰えれるだけのです。お働き頂ける所迄のです。信心が果たしてあるやらないやら。そういう意味合いに於てならば、親先生ならいよいよ身近なのです。日夜お取次頂いて、「親先生すみません」。「親先生御苦労かけて有難うございます」。
これはまあ平田さん方の場合等なのです。ね。そういう意味合いに於て、もう命が安武松太郎先生に填め込んである。ね。そこには安武松太郎先生が平田繁吉の心の中に生きてござる。ここに至る時にです。私は金光教の信心の大変有難いところ、ね。ここに生神金光大神の働きを頂かして貰えれるお取次の働き。ね。
しかもそれは、ね、金光大神の手代わりの場である所のあちらこちらにあります沢山な教会に於てでもです。そういう様な親先生と信者氏子の間の密なものが生まれて来る時にです。そのお広前には生神金光大神の御比礼が、もう燦として輝かして頂くおかげが受けられる。銘々の仕事の上に於てもしかりである。ね。
%V皆さん親先生の事を思う、有難い。けれど、もうひとつ向こうに、親先生が私の心の中に生きてござる。そういうおかげをですね。頂いて貰いたい。また頂きたいと思うですね。どうぞ。